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button-only@2x 「心と脳」ーー満足する人生は、この機能にかかっている

   やり方一つで「性格改善」は大いに進む

私は、どちらかといえば、あまり社交的とはいえないタイプである。

五つの肩書が並んだ名刺を受け取った相手は、私のことを「いろいろな会の会長を務めて、そざかし社交的で世話好きな人間なのだろう」と思うかもしれないが、じっさいのところはそうでもない。

会合に出席して大勢の人と会うことや、大学で多くの学生に講義をするのが、どうにも嫌でたまらなくなることがときどきある。私のことをよく知る人なら、放っておけば、自分のカラに閉じこもってしまいがちな非社交的な人間である、きっと見抜いているに違いない。

ただ、私は自分の性格を知っているし、非社交的な面を克服したいと不断の努力をしている。たとえば、実りの多かった会合を思い出し、「今回も、ひょっとしたら思いがけない成長がえられるかもしれない」と考えて、わずかな社交性をどうにか表に引っ張りだしているのである。

自分について正確に知り、自分とうまくつき合い、時に応じて自分を使いこなすことは、社会生活を営むうえでもっとも必要なことだ。

自分の嫌な面、好きではない性格が支障となって、対人関係で思わぬ損をしていたり、家庭でよけいな軋轢(あつれき)の原因をつくっている人は、意外と多い。

そうしたことが原因で、せっかく育み鍛えた能力を発揮できないでいる人も、決して少なくないようだ。

そこで、大切になるのがセルフコントロールである。これは頭を使わなければできないことだし、まだ秘められた状態にある能力を引き出すことにもつながっていく。

 脳にインストールされた「五つの性格類型」とは

最初に、人間の性格はどのように分類できるか、簡単な説明をしよう。

粘着性性格

何事に対しても几帳面で、世の中の規範や常識、自分で決めたルールを大切にする。

大ざっぱなことが許せないので、場合によっては不器用なほどのきまじめな人間に見えるだろう。がめん強さや集中力は抜群で、研究者向きの性格といえる。ギリギリまで忍耐するので、突然怒りが爆発してしまうことがある。

内閉性性格

社交性に乏しく、自分のカラに閉じこもりがちな性格だ。私はこの傾向が強い。はっきりいって世渡りは下手だが、理想が高くそれに向かって懸命に努力する面がある。繊細で、特異な性能をもっていることが多く、芥川龍之介や島崎藤村、種田山頭火など、古い文学者に多く見られたタイプである。

神経質性格

感受性が鋭い一方、神経が過敏で、ささいなことを非常に気にする傾向が強い。たとえば、体調が少し悪いと「何かよくない病気なのでは」思い悩んでしまうため、ノイローゼにかかりやすいタイプだ。自分に対しても、ほかのことがらに対しても完全を求めるので、自己嫌悪や現実逃避に陥りがりな性格といえる。

同調性性格

粘り強さや現実に対する適応力があり、世話好きで、陽気な社交家である。五つの性格のうち、いちばん世渡りが上手といえる。だれとでもうまく付き合えるが、特定の人と深い人間関係を結ぶのが苦手である。過去や理想よりも現実を重視するため、苦労性の一面もある。徳川家康といった天下人や現代の政治家などに多いタイプだ。

自己顕示性性格

人つき合いがおyく、派手好み、上昇指向が強く、エネルギッシュな負けず嫌いタイプだ。ライバルに対する闘争心、嫌いな人間に対する攻撃性も人一倍強いため、トラブルを招きやすく、利己的にも思われる。芸能界やスポーツ界で活躍している人を見ると、この性格が多いようだ。

   自分を知れ、しかし自分を決めつけるな

以上は、ドイツの精神医学者クレッチマーによる性格分類である。

他にも、フロイトやユング、アドラーといった精神医学の大家たちが提唱した分類法があるから、それらを参考にしてもらってもかまわない。

精神医学を専門にし始めたころの私がもっとも興味深く学び、現在でも人間を見るさいの重要な手がかりとして役立っているので、本書ではクレッチマーの説を使わせていただくことにする。

ただし、ここでは、クレッチマーが唱えた性格の呼び方を、私なりに変えて紹介している。

クレッチマーは、自己顕示性性格を「ヒステリー性格」、粘着性性格を「てんかん性格」同調性性格を「躁鬱性格」内閉性性格を「分裂性格」と呼んだ。

しかし、精神神経科の現場では、ヒステリーとかてんかん、躁鬱といった表現をそのまま使用するのは難しい。また、患者でない人も、「自分は分裂性性格か」と素直に受け入れにくいだろう。いらぬ誤解や病的なイメージを与えずに、それぞれの性格をきちんと理解してもらえるよう、ほかの著書や講演のさいにも変更した名称を使っているので、ご了承いただきたい。

なお、神経質性格については、それほど強烈な印象を与えず、一般的に使用されるので、私もそのまま使っている。

さて、五つの性格の特徴は、おおよそ把握してもらえたに違いない。「どうやら自分は○○性格らしい」と、思い当たるところがあるだろう。

一人の人間が一つの性格だけに分類されるのでは決してあにことに注意していただきたい。一人の人間の中に五つの性格が複数存在しているものである。たとえば、社交性と負けず嫌いの傾向が強い自己顕示性性格の人にも、不器用なくらいにきまじめな面、ちょっとしたことを非常に気にかける面などが潜んでいるのだ。

五つの類型の中でもっとも強く持ち合わせている性格が何かをわかればいいのだ。以上をご理解いただいたうえで、セルフコントロール、性格改造について述べよう。

    「人に好かれる人間」の頭の使い方

私の机には、いつでも手の届く場所に辞書と郵便番号簿が置いてある。いわゆる座右の書である。本の原稿や精神医学の論文を書くときには、辞書はどうしたって必要だ。

しかし、郵便番号簿が座右の書というのは、いささかわかりにくいかもしれない。

私は手紙をしたため、表書きを書くさい、郵便番号もきちんと記入しなくては、気持ちが悪くて落ち着かないのだ。昨今、人からもらう郵便物に郵便番号のないものが目に置いてある。いつか一日郵便局長をおおせつかったとき、郵便は郵便番号で機械的に仕分けされることを知って、これが一段とエスカレートした。

これは、どうやら父から譲り受けた性格らしい。

    どこか憎めない人間の「心の特徴」

父は、粘着性が非常に強い性格だった。不器用なくらいにきまじめで几帳面。同時に、感受性の鋭い神経質の面もきわめて多くもっていた。クレッチマーの性格類型で分析して私が計算したところでは、このようになる。

自己顕示性25%、粘着性17%、同調性42%、内閉性16%、神経質0%父と母はまったく逆の性格であったことがよくわかる。

母は、自慢の手料理でもてないしくれた相手に平気で「料理がまずい」と言ってしまうし、買ったばかりの高級バッグを孫から借りて海外に出かけ、帰国するなり「あなたのバッグ、壊れちゃったわ、だめなバッグね」などと言う。相手がどう受けとめおゆとおかまいなしに、思ったことをずばずば口にしてしまう、わがままな自己中心主義の見本のような人間だった。

万事がこんな調子で、話ネタになるような逸話をいくつも残してくれたから、私も自己顕示性性格を説明するときには、母をずいぶん持ち出したものだ。それでもどこかに憎めなかったのは、それを上回る同調性を備えていたからかも知れない。

 いつも「ワンパターンの自分」しか出せない人へ

このように、人間はいくつもの面をもっている。五つの性格が人それぞれのバランスで内在しているわけだ。「どうしようもない自分勝手で付き合いづらい」「腹を割って、話さない偏屈者で疲れる」などと一言で決めつけられないおもしろさがある。

そして、五つの性格のうちの一つ、ないしは二つがとりわけ強くみられる場合に、その人らしさとして受けとめられるわけである。

「自分ではけっこう楽天家のつもりだが、ときどきささいなことが気にかかって眠れなくなることがある。陽気な自分と神経質な自分、どちらが本当の姿なのだろう」と悩む必要など、まったくないことがおわかりいただけただろうか。

どちらも、本当のあなたなのだ。ケースバイケースで、自分の中にある一面がヒョコヒョコと顔を出しているにすぎないのである。

ただ、ここ一番というときに、気弱な小心者に顔を出されては困ってしまう。大勢の人と和やかに過ごしているときには、わがままな自分はおとなしくしていてもらいたい。

そうするために、どうしたらいいか。

その場に応じて、強く出そうな部分を抑え、裏に隠れてしまいやすい部分を意識的に引き出すようにすればいいのである。

「どうもさいぜんから、つい口が滑りそうだ」と感じたときには、一呼吸おき、想像力を働かせる。こう言ってしまったら相手がどう感じるか、どう言ったらいい関係が保てるかを懸命に考えて自己顕示性格を抑え、同調性性格を覚醒させる。

重要な交渉ごとでひるんでしまいそうなら、思考力の限りを尽くして、相手を圧倒する展開を考える。神経質性格を引っ込めて、負けず嫌いの自己顕示性を呼び出すわけである。

このおゆに、セルフコントロールには、最大限に頭脳を使うことが必要だ。自分自身を冷静に見つめ、客観的に判断し、よい部分と、悪い部分を的確に把握せねばならない。

心を向上させるさせる自己嫌悪、心を腐らせる自己嫌悪

「それができれば苦労はしない」と言いたくなる気持ちもよくわかる。

しかし、どの性格も、本来、自分の中にあるものなのだ。性格そのものを改造しろ、五つの性格のバランスじたいを組み替えろというのではない。

表面に出てくる部分をコントロールしさえすればいいのである。それすらできないというのであれば、その意志がない、その努力をしたくない、ということになるのではないだろうか。

すでに触れたように、私は自分の非社交的な部分を知っているから、それを克服しようと努めている。気の持ち方やや考え方をあれこれと工夫して、積極的に会合へ足を運ぶように努力している。

ただ漫然と「人づき合いが得意ではない。でも、そんな自分が嫌だ」と嘆くだけでは、いつまでも、嫌な自分は変わらないからだ。

結構苦しい作業ではある。

しかし、セルフコントロールによって、人の輪の中へ入っていくように努力した結果、非社交的なままでは決して得られなかった、非常に多くの人生の収穫が得られたことだけはつけ加えておきたい。