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button-only@2x 適度なストレスは逆に集中力を高める

「自分を褒めてあげたい」これは、1996年夏のアトランタオリンピックで大活躍したマラソンランナー有森裕子選手の言葉である。92年のバルセロナでは銀メダルを手に入れたものの、その後、体の故障や精神的なスランプ手術など、いくつもの障害に見舞われた。それらを克服して走りぬき、みごと銅メダルに輝いた彼女に、だれもが惜しみない賛辞を送ったことだろう。

長時間をひたすら走り続ける長距離走が、肉体的・精神的にどれほど過酷かは、、想像にに難くない。厳しいストレスに打ち勝ち、だれよりも早いゴールインを目指す選手たちは、肉体的能力を鍛えると同時に、強靭な精神力も養わなければ、勝利を手にするどころか、完走も難しい。

忍耐力、意志力、集中力、持続力など、私たちがわがものにしたいと願うもろもろの精神的な力を、長距離走者はもちろん、多くのスポーツ選手は選手は日々鍛錬しているわけだ。

脳内物質POMCが持続力を「合成」する

ストレスは、古い脳である大脳辺縁系の働きを、新しい脳である大脳新皮質が抑制することによって生じる。動物としてに自然な欲求を、理性という人間らしさが抑え込んで歪めてしまうわけだ。

ストレスを感じると、脳と体の中で、POMCというホルモンがつくられる。POMCは、酵素の働きでエンドルフィンと副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)に分解される。

エンドルフィンは、前述のように、心のストレスを和らげるとともに、脳に快感をもたらすドーパミンの働きを促す。ACTHは体のストレスをいやすとともに、集中力や注意力を高める作用がある。

ランナーズハイと呼ばれる現象があることは、ご存じだろう。声援を送る私たちには、走者の顔が苦しさで歪んで見える。辛くて破棄したいと考えているのではないかと思える。が、実際は逆だ。彼らの脳は、じつは快感享受しているのである。

長い距離を走り続けることで生じる重度なストレスが、マラソンランナーの体内に、POMCをせっせとつくらせる。POMCをせっせとつくらせる。POMCは分解されてエンドルフィンになり、、快感物質ドーパミンの分泌を促すのである。こうして、長距離選手の脳は、快感を得続けるために、さらに走り続けたくなってくる。

ACTHの働きで集中力が高まっており、これらの相乗作用で、やる気がますます充実しているのである。

このようなホルモンをうまく活用しているのが、一流選手というわけだ。

     ストレスが快感物質を「合成」する

POMCはストレスを受けると合成されるわけだが、何度も合成されるうちに、しだいに大量分泌されるようになる特徴がある。人間は、ストレスを繰り返し受けるうちに、ストレスに対する抵抗力、忍耐力が高まっていくという防衛機構を、生まれつき備えているのである。

POMCは、ストレスをなければ合成されない。つまり、人間は、ストレスが大きいほど意志力や集中力が鍛えられ、反対にストレスが小さいほど精神力は鍛錬されない。

少なくとも体のしくみとしてはそうなっているわけだ。

過保護な子どもが精神的にひ弱なのは、体がPOMC合成の訓練を積んでいないことが一因だといえる。集中力を高めるACTHの恩恵も知らず、ドーパミンによる脳の快感とも無縁だからだ。むろん、自分の欲求をかなえるにはどうしたらいいかを自分の頭で考える思考訓練が充分でないことも、ひ弱さのもう一つの原因であるが。

過度の急激なストレスは心身に悪影響をもたらすことがある。だが、ストレスから逃げてばかりいるのは得策ではない。何度も立ち向かっているうちに耐性がついてくるのだから。

適度なストレスが脳活性化に不可欠なのは、以上のような理由による。

脳に刺激を与えることの重要性は、これまで繰り返して述べてきた。刺激すればするほど、神経細胞のネットワークが強化され、脳力が鍛えられていく。伸びる人間は、つらいストレスをも、脳へのいい刺激として活用しているのである。

ストレス解消のために酒を飲むという人がいる。それではせっかくのお酒がおいしくないだろう。つい深酒して、健康にも悪い。

たとえば深刻な人間関係に悩んでいるとしたら、思い切って相手の懐に飛び込むほうが、脳にはいい影響を与える。初めは苦痛でたまらなかったことが、しだいに苦痛と感じなくなるはずだ。そうなるころには心理的にも、相手がこちらのことを受け入れてくれるようになっているはずだ。

   思考力がストンと落ちる「魔の時間」に何をするか

「どうも飽きっぽくて一つのことに集中できない」「ポカやミスが多く、注意力が散漫だとよく叱られる」と頭を抱えている人は、少なくない。あげく、「長時間の集中ができないのは、自分がこの仕事に向いていない証拠かもしれない」と結論づけ、ますます集中できなくなったりする。

どうしたら集中できるのかを考える前に、まず集中できない理由を探ってみよう。たとえば、満腹時に思考力や集中力が落ちるのは当然である。体は食物の消化に精いっぱいで、血液が頭のほうまで充分に回らないからだ。

だから、昼食後すぐの会議でいい意見が出せないのは、あながち自分のせいではないといえよう。リラックスして雑談を楽しみながら、少しずつ頭が回転し始めるのを待つゆとりをつくらないことが主因と考えられる。

またたとえば、同じ会議に出席しても、他人の報告を聞いてから自分の見解を述べればいい人と、企画や報告をし、質問を受け、臨機応変に意見も言わなければならない人とでは、集中の持続も異なってくる。

すべてを自分の脳力のせいにする必要はさらさらないのだ。

     これだけ休めば脳は何とか働いてくれる

さらに、指がかじかむほど寒い場所や、のぼせそうに暑い部屋にいて注意力が散漫になるのも、いたしかたない。体が体温調節に忙殺され、脳の神経がフル稼働してくれないからだ。

また、いくら忙しいといって、長時間ぶっ続けで頭を使えば、集中力は低下する。脳には集中できる時間というものがあり、それは私たちが想像しているよりも短いようである。個人差があるから一概にはいえないが、目安は学校の授業の時間だろう。小中学校は一授業が40~50分間、大学の講義は一こま90分くらいだ。そして、10分程度の休憩時間をはさんでいる。

これに準じて、疲れてきたなと感じたら、無理をせずに頭を休ませることが大切だ。わずかの休憩が、集中力、発想力を大きく高めるはずである。

このように、集中力に影響を及ぼす要素は、さまざまだが、いつも最高の集中力を発揮するには、時間帯やその日の体調、体や脳の疲れぐあいなど、もろもろの条件を自己管理する必要があるわけだ。これを抜きにしてただ嘆くばかりでは何も始まらない。

      脳は「ながら仕事」が絶対できない

脳は、「ながら仕事」をしないようにできている。食物を消化しながら脳を全開することはできない。計算に集中しながら今夜のデートのプランを練るのも不可能だ。消火器を動かすのも、計算するのも、すべて脳の仕事である。つまり脳は、つねに一つの仕事だけに集中する器官なのだ。

私たちは、こうした脳の集中性を、仕事や勉強にできるだけ釘づけにしておきたいわけである。邪念を払った「心頭滅却すれば火もまた涼し」の状態が理想である。

「そんな暑さ寒さも忘れて思索に集中できるのは、瞑想の訓練をつんだ高僧くらいだ」と考える人がいたら、ちょっと待っていただきたい。

だれでも、自分の好きなことになら、寒暑も時間も、寝食も利害も忘れて没頭しているのではないだろうか。

「好きこそものの上手なれ」「下手の横好き」という正反対のことわざがあることからもそれはわかる。上達しようが、いつまでも下手であろうが、そんなことは二の次で、好きなことをして楽しむという快感を脳は求めているのであり、その快感の前には、あらゆる雑念がおのずから滅却されるのだ。

またしてもキーワードは「好き」である。つくづく人間というのは不思議なもので、好きなこと、興味や関心のあることには、自然と頭を働かせることができるのだ。欲求も起きるし、やる気もわく。記憶力も集中力も、「好き」な世界でなら、何の苦労も努力もなく発揮できるのである。

これを見逃す手はない。好きなことを存分に楽しんだ後、その波にうまく乗って不得意分野に移ればいいわけである。

脳がコンピューターと違うのは、リズムに乗って働くということだ。脳のリズムを理解するところから集中力養成が始る。

      この集中がカンをさらに鋭くする

必要は発明の母であるという。目の前の窮状を何とかしなければ自分が困る。そのように切迫したときには、脳はそれこそ神がかり的な働きをする。思いがけない打開策がわき、迅速に行動できるものだ。

だれでも何度かはそんな経験があるだろう。「ない」という人は、本当の絶対絶命を体験していないのだとすらいえる。

脳のこのような底力を、日常的にも引き出すことができないだろうか。いい発想を生み出すには、知識や情報といった下地がまず必要になる。知識の蓄積や情報収集の努力もなく、机の前でほおづえをついていたら、あるときポッとすごい企画が浮かんできた、ということはありえない。

なぜなら、発想というのは、これまでに蓄積されたいくつもの情報を一度バラバラに解きほぐし、新たに組み合わせることで生まれるものだからである。アイデアの素になる情報収集は、決しておろそかにしてはいけない。ひらめきとは足でかせぐものであるといっていいくらいだ。

情報収集が進んだら、次はどうしたらいいのだろうか。

    ひらめきの果実は平凡な事実の木に実る

とりあえず他人のまねをしてみるのがいい。「学ぶ」とは「真似ぶ」ことだからだ。しかし、いつまでも人まね頼っていては、独創的なアイディアを生み出すのは不可能である。

画期的な仕事をした人たちを思い浮かべてみよう。キャピズム(立体派)という斬新な絵画の手法を創出したピカソ、「青の時代」に代表される写実的な画から出発している。フロッピーディスクをはじめ、発明件数でエジソンを超えて世界第一位となった中松義郎氏は、絶えざる情報収集、思考訓練を自分に課している。

人まねではない新しい発想や、キラリと光るオリジナリティで世間を驚かせ魅了する成功者たちの足もとには、なみなみならぬ苦労と努力が蓄積しているのだ。

彼らの華やかさしか見えない私たちには、幸運の女神に愛された恵まれた人間のように思えるが、女神好みのタイプの人間に無料でアイデアやひらめきを贈呈しているわけでは決してないのだ。

創造や発想は、また、料理にたとえられるかもしれない。

過去の先人たちの知恵をきちんと学び、現在どのような状況にあるのかを調べ、そこに自分ならではのオリジナリティーを加える。頭の中に入力した、これらを多くの素材を、いわば料理して皿に盛りつけたのが企画、創造である。

料理は、とりかかる前段階の素材選びと下ごしらえが決め手となる点もよく似ている。発想の前段階には情報収集があり、試行錯誤という生みの苦しみがある。ああでもない、こうでもないと考えぬき、悩みぬいたすえに、突然、目の前がパッと明るくなって新しい世界が開けたように、ひらめきが浮かんでくるのである。

カントの発想もベートーヴェンの曲想も「足」から生まれた

この試行錯誤のさいに、散歩がいいという話を聞いたことはないだろうか。京都にある「哲学の小径」は、哲学者である西田幾太郎が思索しながら歩いた道として有名である。哲学者カント、音楽家ベートーベン、作家の司馬遼太郎氏やヘルマン・ヘッセなど、散歩を日課とした成功者は、ほかにも枚挙にいとまない。

なぜ歩くことが、これほどまでに効果的なのか。それは大腿筋を動かすときの刺激が、脳によい影響を与えるからだ。

筋肉の細胞からは、運動神経と感覚神経が伸びて、脊椎そして脳へとつながっている。

外界からの刺激を脳へ伝えるのが感覚神経、その刺激を受けて行動の指令を筋肉に伝えるのが運動神経だ。

そして、大腿筋という体の中でもひときわ大きな筋肉が感覚神経を通して脳へ送る刺激が、脳を覚醒させ、活性化してくれるわけである。

思索に多くの時間を費やす小説家や芸術家、研究者たちが散歩を好んだことが、この活性化の効果を証明している。

彼らは私たちを感動させる素晴らしい発想を、やはり足でかせいだというわけだ。

先哲に習って、自分にとっては「哲学の小径」を決めておくのもいいかもしれない。

    「遊び心」が集中力を引き出す

ついでにいっておくと、”哲学の小径”を歩くときには、哲学者風の格好を気どってみるなど、ファッションにこだわってみるとおもしろい。

ふだん着とまったく違うジャケットをはおり、それにあう靴をはく。小脇には原書を抱え、胸ポケットに鎖時計と凝る。そんな遊び心が、常識にとらわれがちな脳をやわらかくするからだ。

なお、脳から創造性を引き出すのにアルファ派が関係していることは、よく知られている。多くの体験者例や科学的な脳波の調査から、これは証明されているようだ。

心身がともにリラックスしている状態に観測されるアルファ波をうまく活用するとアイディアは格段に引き出しやすくなる。

アルファ波については、9章で詳しくとりあげる。また、散歩のように、感覚神経や運動神経から脳を刺激するエクササイズも6章で紹介している。あわせて参考にしていただきたい。

冴えた発想を「当たり前のやり方」から出す

周囲のさまざまなことに目を向け、アンテナを張りめぐらし、足で情報をかせいだら、今度は視点を変えてすべてを眺め直し、組み替えるという作業が、創造には欠かせない。この作業は、意志と創造を司る前頭連合野の仕事である古い脳からわきあがってくる欲求とやる気に、目的という方向を与え、それに向かう意志を生み出し、未来を創造していくのが前頭連合野の役割である。

川端康成とゴッホの「脳」に共通する創造の秘密

前頭連合野には快感中枢A10神経が走っており、ここを使えば使うほど快感物質ドーパミンが放出される。

ここで興味深い事実を紹介しておきたい。

精神分裂病はドーパミンの過剰分泌が一因であるともいわれているのをご存じだろうか、脳に快感を与えるドーパミンは、過剰に分泌されると感情を高めすぎて、精神の均衡を乱してしまうことがあるというのだ。

たしかに、天才の誉れ高い芸術家たちが正気と狂気の境界線上にいたらしいことは、よく語られるところである。ロシアの文豪ドストエフスキーはてんかん発作を抱えていたし、天才画家ゴッホは精神てんかんという説が強い。作家芥川龍之介は、分裂病か発病一歩前の状況であった。ご本人も書いているように、私の父の診察を受けていた。

山下清画伯のように、生まれつき脳に疾患をもち、知能指数(IQ)の低い人も絵画や音楽などの分野で特異な才能を発揮するケースが少なくないことも報告されている。

好ましからざる例では、詩人のシャルル・ボードレールは麻薬のハシーシュを吸飲していた。作家のジャン・コクトーはアヘン常習者、無頼派といわれた太宰治や坂口安吾は睡眠薬や覚醒剤のヒロポンなどを使っていた。川端康成もついに睡眠剤の魔力から離れられなかった。

 前頭連合野は「制御機能が壊れた脳」である

快感物質ドーパミンが、化学的に麻薬と同様の構造であることは、すでに述べた。こうしたことから推測されるのは、A10神経の過剰な分泌が、じつは芸術的な創造性と深い関係にあるのではないかということだ。

人体内で合成分泌されるホルモンは、そのホルモンを受け止めるレセプター(受容体)と一対になっているのが普通である。

ホルモンを分泌する側には、現在どのくらいの量のホルモンを分泌しているのか計測するしくみが備わっている。強い刺激を受けたからといって、レセプターの許容量を超える量のホルモンが放出されると、レセプターの機能が破壊されかねないから、こうしたシステムによって、ホルモンの分泌と受容のバランスをきちんと調整しているわけである。

しかし、脳の中で、このコントロール機構が欠落している部分が一つだけある

それが前頭連合野なのだ。

「ドーパミンもずいぶん放出されたことだし、快感も充分に機能したから、このあたりでドーパミン分泌を中止しよう。過剰になると危険だ」という制御装置が、前頭連合野にはないのである。

ボーダーラインを超えてドーパミン分泌が危険域に達してしまうことによって、、精神の病が引き起こされるのではないかと考えられている、こんな理由からだ。

  「超集中」状態をつくるドーパミン

また、快感とはまったく逆であるはずの、苦しく厳しい刺激加え続けることで創造性が引き出されるという考えもある。

その代表が、断食や滝行を行う苦行僧だ。彼らはしばしば、いわゆる神秘体験をしたり、曼荼羅世界を実感したり、ついには悟りを開いたりするという。これは、真冬に冷たい滝に打たれたり、寝食を極限まで削って読経をしたりという、すさまじい苦痛を体に与えることと関係しているのではないかといわれている。

これは、ストレスに立ち向かうためのホルモンPOMCが関係しているのかもしれない。POMCが分解され、エンドルフィンが快感物質ドーパミンの分泌を促し、集中力の源ACTHが放出される。

多すぎるドーパミンが、すでに完成された神経細胞のネットワーク内だけにとどまらず、未開発であった神経細胞のシナプスをアトランダムに流れていってしまうのであるろうか。

しかし、激しく興奮した神経細胞の働きが人間の創造と大いに関係している考える専門家は少なくないようだ。

話が極端なところへいってしまった。

もちろん通常の場合、考えすぎからといってドーパミンの過剰分泌を心配する必要はない。創造力開発のために、苦行僧のように体を痛めつける必要もない。脳の研究最前線では、極端な事例もヒントにしながら、人間の創造性についての謎を探っているということである。

そのキーワードは、A10神経、ドーパミン、前頭連合野にあるといえそうである。

将来、脳についての研究がもっと進み、ひょっとしたらやる気ホルモンや集中力を高めるホルモンを利用したドリンク剤、記憶の記銘・保持・想起の増強装置などというものが開発されるかもしれない。

それはそれで、楽しみなことだ。

しかし、何度も繰り返してきたように、脳は、前後左右、内側外側が総動員して機能しているものなのだ。やる気ドリンクや集中力増強ドリンクを飲んだとしても、脳の他の部分も同様に働いてくれなければ意味は半減といえるだろう。

あれもこれもと頭につめ込んで記憶しても、その情報を実際の行動や生活の中で役立てることができなければ、宝の持ち腐れである。

  「ちょっとした努力」が成功の扉を開く

つまり、脳全体的、総合的に鍛えていく必要があるわけだ。しかも、脳を鍛えるためには頭を使うしかないというのが現実であり、インスタントな近道はないようである。

脳の鍛え方は、正攻法がすなわち王道である。だれでも、いつでも、日常生活の中で実践できる方法が結局は近道なのであって、珍奇なやり方、化学物質に依存する方法は、私は決して脳のためにはならないと思う。