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button-only@2x 理解したことは忘れない「脳の冒険」効果

人間の大脳辺縁系にあたる古い脳しかもたない動物は、生存するのに、最低限必要な行動しかできない。

俊足だとか、長時間の潜水や飛行といった特定の能力には、すぐれているが、経験を生かして先を読み、行動パターンを変えることは、ほとんどできない。

しかし、古い脳の上に大脳新皮質を発達させた高等哺乳類になると、経験学習が可能である。ヒトにもっとも近いサルの仲間は、訓練しだいで知能の水準をかなり向上させられる。チンパンジーのアイちゃんが、言葉を使って人間とコミュニケーションできるようになったという話を聞いた読者も多いのではないだろうか。

とはいえ、類人猿の能力は、人間の能力には遠く及ばない。遺伝子レベルで調べてみると、チンパンジーと人のDNAは数パーセントの違いしかないというが、頭部を解剖してみると、脳の大きさには格段の差があるのである。

自分の体験を学習する。後天的に学んだ知識や知恵をを有意義に活用する。この人間が獲得した素晴らしい能力を広義に記憶と呼ぶなら、記憶はよく発達した大脳新皮質をもつ人間ならではの機能なのだ。

   「覚えたつもり」が積もっても記憶は増えない

だから、この能力をどうにかして高めたいと多くの人が願ってやまないのは、当然である。その願いをかなえるためには、第一に受験勉強的なつみ込み暗記を考え直すことだ。

いわゆる受験秀才といわれる人の中には、短期感にあれもこれも頭に押し込む要領だけはすごい、という人がいる。

しかし、受験勉強的なつみ込み方式は、短期記憶を増大させることはできても、長期記憶として定着させることが難しい。

「こんなものを覚えて、何の役に立つのか」と首をかしげながら棒暗記したあれこれが今どれほど頭に残っているだろうか。ほとんど覚えていないはずだ。

そういう意味では、一夜漬けは記憶力増強にとって、労多くして功が少ないうらみがあろう。目の前の改札を通過する切符にはなる。が切符は改札をでれば手元には残らない。

私たちが手に入れたい記憶力とは、いつでも改札を出入りできる定期券、すなわち長期記憶である。

長期記憶を増やすセオリーは何か。第一は、先述のように、情報を何度も反芻して、神経細胞のネットワークをより強個なものに鍛えること。

もう一つ、同様に重要なことは、「理解すること」である。

たとえば数学の公式は無味乾燥なものであり、何百個も棒暗記するのは難しい。甚だしい苦痛と多大な時間の浪費に音(ね)をあげて、覚える努力を放棄してしまうだろう。

あげく、「どうせ自分は意志薄弱の三日坊主」とやけになるわけだ。

しかし、公式の意味を理解していれば、話は別になる。三角形の面積を求める公式と円の直径を求める公式を混同することはないし、公式そのものを忘れてしまっても、「底辺×高さで四角形の面積がわかるから、三角形ならその半分」とすぐに対応できるはずである。

覚えようと意識せずとも自然に頭に入る。これが記憶の本当の強さだ。この「自然に頭に入る」記憶をサポートするのが反芻であり、理解なのである。

きちんと理解して覚えたものは忘れない。逆に理解のない知識はいくら沢山あっても役に立たないといえる。

   「わかろうとする努力」が全脳を充電する

「記憶力」が弱いとあきらめている人は、覚えたいことがらをきちんと理解していたかどうかを振り返ってもらいたい

世の中は複雑な要素がいくつも絡みあっている。記憶すべきことがらは、数学の公式のように単純明快だとはかぎらない。だからこそ、まず「わかる」ことが、記憶の重要なポイントになるのである。

理解できたときにはもう頭にインプットされているといってもいいだろう。

記憶力を高めるのは、対象を理解しようと努力する習慣をつけ、理解する力を高めることを抜きには語れないのである。

たとえば得意先の電話番号や振込口座100件も200件もそらんじれるからといって、頭のいい人間、賢い人間とはいえない。そんなことは、住所録や電子手帳にまかせておけばいいのである。

問題は、知識や経験が、たしかな血肉となって記憶・活用されるかどうかである。理解して覚えることは、情報の活用にも有効である。

    「ふっと思い出す」メカニズムを活用せよ

私は、無類の飛行機マニアであると同時に、大の映画ファンでもある。

映画とのつきあいは、無声映画からトーキーに変わる時代から始まる。今でも仕事のあい間を縫っては、東京・神保町の岩波ホールへ足を運び、質の高い作品に酔い、ストレス解消を心がけている

映画との長いつきあいの中で、忘れ難い感銘を与えてくれた作品はいくつもある。そういう名画は、筋立てから俳優の演技やせりふに至るまで、細部をすべて覚えているものだ。何人もの人物が錯綜し、事件が微妙に関係しあう複雑なストーリーでも、いつまでも忘れない。

とくに映画ファンというわけではない人も、これは同じだろう。

すぐれた小説や演劇でも、似たようなことがいえる。物語の結末では、それまでの筋の全体が頭によみがえり、「ああ、あのできごとが悲劇の伏線になったのか」「主人公がハッピーエンドを迎えられたのは、くじけなかったあの芯の強さがあったからだ」ということが一瞬で理解できる。そしてその感動は強い記憶になるのである。

つまり、快い感動は、記憶を脳に、定着させる働きをするのだ。

そして、感動は、積み重ねられたいくつものできごとが、大きな流れとして一つにまとまったときに襲ってくる。小説家や脚本家の側からすれば、より印象深い感動的なラストシーンに向けて、多くの伏線をドラマに盛り込んでいるわけだ。

単純記憶力の針は、いつピークをさすか?

一杯の紅茶から自分の全生涯を思い出すマルセル・ブルーストの『失われた時を求めて』ではないが、私たちはしばしば、ちょっとしたきっかけから思いがけない記憶をよみがえらせることがある。

形見の品を見て、故人となった人の息づかいまで、まざまざと思い出す。桜の花吹雪のの中に、昔の恋人の姿があらわれる。とりわけ恋愛の経験は、人生の宝物だ。喫茶店で、恋人が語ったちょっとした言葉、プレゼントを渡したときの輝く笑顔、ささいなことで怒らせてしまった日の悲しげな身振り、どんな小さなできごとも鮮明に覚えているのではないだろうか。

快い思い出とは逆に、友人や上司と喧嘩したことなど、不愉快な思いも、脳裏にしっかり刻みつけられているだろう。

こういう忘れられない思い出は、必ず一連の物語として記憶されているはずである。そして、そこには、心の動きがある。

このように、ストーリーの中で全体的に覚えることを、複雑記憶と呼んでいる。

これに対して、子どもが動物の名や車の機種等断片的なものをいくつでも覚えるような記憶を単純記憶という。

子供の脳は、いわば真っ白なキャンバスのような状態にあるから、意味やつながりのないことでも、簡単に書き込むことができる。

すなわち、受験勉強的な棒暗記を得意とする脳なのである。この能力ピークは10歳前後、ちょうど掛け算の九九をたたき込まれる時期にあたる。子どもうちは、単純記憶を繰り返すことが、神経細胞のネットワークを鍛える訓練になるわけだ。

      「筋立てた記憶」ほど脳に長く住む

しかし、子どもは忘れっぽいのも特徴である。これは、長期記憶を担う脳がまだ未完成な状態にあるのためだ。

脳は成長するしたがって、単純記憶力が弱まっていき、複雑記憶力のほうが高まってくる。獲得したさまざまな知識が相互に関連しあうようになるとともに新しい情報も登録ずみの情報と絡みあって脳に入力されるようになるのである。脳が総合的、全体的に働くようになるわけだ。

すなわち成人は、ものごとの断片をこまぎれに記憶するより、ストーリーの中で覚えたほうが、覚えやすいし、忘れにくい。

しかも、一つ一つのことがらをきちんと理解し、前後関係を把握していないとストーリーにはならないから、この方法は理解をいっそう深める効果もある。「なるほど」と膝を打つようなときには、一種の感動、心の動きがあるあるといえるわけだ。

成人の脳は単純記憶に向いていない。受験勉強的つめこみ暗記を捨てて、得意とする映画的な複雑記憶の方法をマスターして記憶力アップを図るほうが合理的なのである。