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東京大学医学部には、私の父ある斎藤茂吉の脳が保存されている。ここには茂吉だけでなく、夏目漱石や横山大観、内村鑑三、桂太郎、三木武夫といった計35人の脳が保存、陳列されている。高名な学者や政治家など、ある分野で傑出した才能を発揮した画面の頭脳が、1つ1つ標本ケースにおさめられているのである。

この脳の収集は、明治の末ごろ、東京大学医学部教授だった長与又朗氏が始めたものだ。

きっかけは、ある文献を目にしたことであった。

その文献には「ヨーロッパ人の脳は重い。東洋人の脳はあまり重くはない。オーストラリア、アフリカ、タスマニアなどの原住民の脳は軽い」といった内容が書かれていた。

長与教授はこれに憤慨して、脳の研究を始めたのである。

      「頭がいい」とは、どういうことか?

現在では、長与教授が目にした文献は、偏見に基づく内容であることがわかっている。

脳の重さに、人種の差は認められないのだ。ただ男女差はあり、成人男性で1300~1500グラム、成人女子で1200~1400グラムが脳の平均的な重さとされている。

しかし、この差の体の大きさなどの諸条件を考慮すれば、大した意味をもたないというのが定説だ。

つまり、脳の大きさや重さに、人種の別、男女の別はないわけである。

では、天才と凡才の別はあるのだろうか。夏目漱石の脳と私たちの脳とは、どこかに違いがあるのだろうか。

動脈や静脈などを取り除いた灰白色の漱石の脳は、これが夏目漱石の脳だと教えてもらわなければわからないほど、とくにこれといった特徴はない。重さは1425グラム。

平均より少々重いといえるかもしれない。しかし、このくらいの重さの脳の持ち主は巷にゴマンといる。

重さや形に関するかぎり、天才と凡才を分ける何かがあるわけではないようだ。

アメリカではもう1歩踏み込んで、物理学の天才アインシュタインが死亡したあと、その脳組織を取り出し、顕微鏡検査を行っている。洋の東西を問わず、だれもが天才の頭脳の秘密を知りたいと願ってやまないようである。

「天才と脳はいったいどうなっているのか。凡才には見られない特徴が確認されるかもしれない」 と多くの学者が固唾を飲んで結果公表を待ったという。しかし残念ながら、このときも、これといった特徴は報告されなかった。

すなわち脳の大きさや重さ、形や構造などは、天才も凡才もだいたい似たようなものなのだ。そういう点では、神はすべての人間を平等に創ったといっていいだろう。

これは、私たちにとっては朗報である。生まれながらにすぐれた脳、賢い脳というのはないわけだから。

脳は、こう鍛えれば無限に強くなる

とはいえ、頭のいい人、賢い人、カンの鋭い人、できる人というのは、たしかに存在する。身のまわりにも、一人や二人はすぐに思い浮かべることができるはずだ。その人たちに比べて、どうして自分の頭はこんなに平々凡々なのかと、力が抜けてしまうかもしれない。神はやっぱり平等ではない、と天をうらめしく仰いだ経験もあるだろう。

いったいどこが違うというのか?

その秘密は、神経細胞のネットワークにある。

脳の表面にはニューロンと呼ばれる神経細胞が存在しており、人の場合、その数は100億~140億だといわれている。

この神経細胞は、生まれたときにはすでに完成している。だが、赤ん坊が泣きわめいて自分の快不快を訴えることしかできないことからわかるように、脳の中に100億を超える神経細胞が、たんに詰まっているだけでは不充分なのだ。

神経細胞と神経細胞とをつなぐネットワークがつくられて初めて、赤ん坊は人の話を理解し、言葉をしゃべれるようになり、記憶し、みずから思考するようになるのである。

この神経細胞のネットワークがより精巧で密につくられている人ほど、頭の回転がよく、鋭いカンが働き、的確な判断力とすぐれた行動力の持ち主といえるのである。

脳はよくコンピューターにたとえられる。たしかに、多くのチップがあって、それをつなぐ配線が精巧かつ密であるほど、高性能のマシンになるのと似ている。

ただ、人間の脳がコンピューターよりすぐれているのは、神経細胞のネットワークが、使えば使うほど、拡大していく点にある。コンピューターは使っても進歩しない。だが、脳は鍛えれば強くなるのである。

脳の重さや神経細胞の数自じたいは、すべての人間に同じように与えられている。だからすぐれた頭脳の持ち主になれるかどうかは後天的な鍛え方しだいというわけだ。

そして、脳を鍛えるとは、より多くの頭を使うということにほかならない。

    2 この刺激が神経細胞に「知恵をつける」

成人の脳は、だいたい1200~1500グラムの重さがある。しかし、生まれたばかりの赤ん坊では約400グラムしかない。生後一年で二倍の800グラム程度になり、その後20歳くらいまでの間に少しずつ脳は成長していく。

すでに述べたように、神経細胞は誕生した時点には完成されている。だから、脳の成長とは、神経細胞と神経細胞とを結ぶネットワークが形成されてることを意味している。

それと同時に、神経細胞の働きを陰で支えるグリア細胞が急激に増えていくのも、脳が年齢とともに重くなっていくことに関係する。

「一日10万個の細胞死」を回復する、ちょっとしたコツ

25日ページのイラストを見てほしい。神経細胞は、核のある細胞体から樹状突起と神経線維を伸ばした構造になっている。

これは神経細胞をもっともシンプルにあらわしたものであるが、赤ん坊の脳には、このようにシンプルな神経細胞が100億~140億個あるとイメージしてもらえばいいだろう。年齢を重ね、さまざまなことを学習するにしたがって、樹状突起や神経線維が成長していくわけである。

成長とは長く伸びるばかりではない。植物が地中に深く広く根ををはりめぐらせるように、神経線維の先端は、ほかの神経細胞の樹状突起との間にシナプスを作る。

こうして「頭のよさ」を左右する、脳内のネットワークが形づくられていくのである。

しかし20歳を過ぎると、こんどは脳細胞の死滅が始まる。一日に10万個の神経細胞が失われるとされる。解剖学者プロディとレブーフの研究によれば、80歳では37%の神経細胞が死滅しているというから、1916年生まれ、80歳を超えた私の脳は、かなり軽くなっているのかもしれない。

だが、落胆することはない。神経細胞が減っても、ネットワークが失われるわけではないからだ。脳内のネットワークの形成は一生涯続く。

このへんが、人間に頭脳を与えてくれた神の絶妙な心配りといえるところだ。

年齢とともに神経細胞が減ってしまう現象は万人共通である。なのに20歳そこそこで脳の衰えを嘆く人もいれば、老いてますます盛んなかくしゃくとした方々がおられる。

この差は、脳のネットワーク形成を怠るか努力するかでつくのである。

button-only@2x 仕事・勉強は「脳内プログラム」に従ってやれ

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さらに、若くても頭を使わないでいると脳の神経細胞が部分的に退化したり死滅することがある。この現象を廃用性萎縮と呼んでいる。

若いといっても油断は禁物だ。心身の成長期に沢山のことを勉強するのが大事なのと同様に、20歳以後は、神経細胞の減少をフォローするくらいに脳へ刺激を与え続けることが不可欠である。頭は使わなければ、若々しい神経細胞をたくさんもっていても退化するのである。

「ボケ若人」をつくりだす廃用性萎縮

では、頭を使うとは、いったいどういうことであるのか。

神経細胞は外界からの刺激を受けて興奮する。そして、電気的な信号を発する。それが隣から隣の細胞へと伝えられる。

味もそっけもないが、頭を使うときの脳のしくみを簡単に述べればこういうことだ。

外界からの刺激は、見たり、聞いたり、触れたり味わったり、嗅いだりする五感を通して取り入れられる。こうして得た刺激が脳に伝わり、刺激に対してどう反応するかの指令が下され、手足を動かしたり、言葉を話したりするわけだ。

たとえば練習するにつれてピアノが上手に弾けるようになるのは、楽譜を見て鍵盤の上で指を動かすために必要な神経細胞のネットワークを繰り返し使うことで、神経伝達がスムーズに行われるようになるからである。英単語も、何度も口に出してみることで、流暢なスピーキングができるようになる。

スポーツが上達するのも、職人が熟練した技を身につけるのも、中堅社員が新人より仕事ができるのも、同じことだ。刺激を繰り返し与えることで、神経細胞間での情報のやりとりが正確かつスピーディーになるのである。

そして脳は、このような刺激が与えられることを、つねに求めている。鍛えられることをを待ち望んでいるのだ。

これは、心身ともに健康な人間にとって、退屈が苦痛であることからも明白だろう。

何もすることがない、何の刺激もない状況を脳は好まないのだ。

一方、つらくても何ごとかを成し遂げたときの達成感、喜びを思い浮かべてほしい。

この喜び、一種の快感をいつも感じたくて、脳はさまざまな刺激をほしがるのである。

繰り返すが、神経細胞のネットワークは、刺激を与えれば年齢に関係なく、一生涯、成長を続けていく。間違っても、毎日をだらだらと過ごして、せっかくの神経細胞を廃用性萎縮をするようなことはしないでいただきたい。